大泊瀬幼武尊 | |||||||
陵墓: | 大阪府藤井寺市丹比高鹫原陵 | ||||||
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传说与历史
雄略天皇弑兄弟,仅履中天皇之长子市边押磐皇子之二子存,然其二子显宗天皇无嗣,仁贤天皇又仅得武烈天皇一嗣.是以武烈天皇既崩,后嗣无人。种下仁德天皇一系子孙未能延展天皇族嗣之因。
雄略天皇 ゆうりゃく 456年11月13日 479年8月7日 暴君说
原名 大泊瀬幼武尊(大长谷若建命)
诞生 418年?
即位 456年11月13日
薨于 479年8月7日
父母 (父)允恭天皇
(母)忍坂大中姫命
皇后
皇妃 葛城韩媛
童女君
皇子 磐城皇子
星川稚宫皇子
白髪皇子(清宁天皇)
皇女 稚足姬皇女(又名栲幡娘姬,母葛城韩媛妃)
春日大娘皇女(妃童女君所生也,为仁贤天皇皇后)
陵墓 大阪府藤井寺市丹比高鹫原陵